日本軍失敗の本質

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「ドキュメンタリー沖縄戦」の太田隆文監督がツイッターで薦めておられた本を読んでいます。 

 

第二次大戦における敗戦の原因を探る意欲作です。

日本軍が持っていた組織的問題を社会科学的科学的アプローチで論じるということなのですが、テーマは「日本はなぜ敗戦したのか」。

 

ノモンハン事件ミッドウェー海戦沖縄戦など、それぞれの戦闘でなにを失敗し、それは日本軍という組織のどこに問題があったかと論じていきます。

 

敗戦したら、その理由を研究してそれからの国づくりに活かすのが当たり前なのではないかとおもうのですが、それが当たり前でなかったことは

この研究が昭和50年代にようやく行われたことから伺えます。

 

始めに各戦闘での実態と問題点が述べられ、最後にその問題が日本軍の組織的問題にどのように繋がるのかが検証されています。

 

沖縄戦に関しては、現場の32軍は最善を尽くして島の地形や風土を生かした陣地作りをし、米軍の上陸には攻撃せず南下させ、地中から攻撃をかけ進軍のペースを落とすという実際的な作戦を立て遂行します。

 

大本営は本土決戦までの時間稼ぎをという命令を下し、実際に32軍は少ない資源で米軍の侵攻を遮ります。そのまま持久戦を続けていれば、8月15日まで戦い続けることができたとも言われています。

 

しかし大本営は持久戦とは矛盾した、積極的戦闘で戦果を挙げられないのかと催促するのです。

 

大本営にしてみれば、沖縄について占領は必至と最初から言い切っており、でも目に見える戦果はあげよという全く兵士も県民も見限ったような態度でした。

 

32軍では軍法会議が行われました。ほとんどの将校の意見は上層部の意見に従うべき、でした。なにが正しいかではなく、上の命令に従うのが日本軍の常識だからでした。

 

1人反対したのが、持久戦の作戦を策定した八原高級参謀でした。アメリカで学び、考え方が先進的だった八原は「洞窟陣地から出て戦うのは自殺行為」と反対します。

 

牛島司令官はここで八原1人の意見を取り入れることはできないと判断して、地上での戦闘を遂行し、第32軍大きな打撃を受けます。

 

この失敗から、5月末に首里撤退を強く訴えた八原の意見が通るという皮肉な結果も生まれることになります。

 

大本営の司令が現場の現状を無視して、取り返しのつかない事になったのは硫黄島の戦いでも起こりました。

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最後のアナリシスでは、元々の国力の差、八原参謀官が述べた「科学的論理性の欠如」が挙げられていますが、一番大きいのは「大本営の無力」なのではないかなと思います。

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馬鹿な大将敵より怖い。

 

敵ではなく国に殺されたのが沖縄だし、今このコロナウィルスで危機に陥った私たち多くの国民もこの

「馬鹿な大将」の怖さに少しずつ気づく人が増えているのだと思います。

 

後、この本では出てきませんが、日本軍には兵站感覚がなかった、ということも頭に入れながら読むとより多くのものが見えてきます。

 

陸軍の兵隊には食料は現地調達と決められていたのには大きなショックを受けました。海外で戦死した兵士の半数以上は餓死。華々しく玉砕した人がどれだけ少なかったか。

 

現地調達しなければならないから攻め込んだ街や村で強奪や殺人が自ずと増えてしまう。沖縄でも食料や家屋、壕が奪われ、集団自決以前にもどんどん県民が死んでいった。

 

この本が新刷され、話題になってる今、このような事実も併せて日本人がもっと敗戦に向き合えないものかと思います。