沖縄の島守 島田叡とその時代

島田叡という人のことをご存知ですか?

 

太平洋戦争末期、第二次世界大戦の中で最も凄惨な戦いの一つと言われる沖縄戦が始まるわずか3か月前に県知事として赴任し、命を落とした方です。

 

1944年10月10日に沖縄は米軍による激しい空襲に遭い、県庁所在地那覇首里は壊滅的な被害を被りました。南洋諸島が次々陥落し、沖縄への米軍上陸は必至の状況の中、島田叡の前任者泉知事は本州への出張を繰り返し香川県知事就任に漕ぎ着けます。

 

泉知事の無責任な行動のため、老人や児童を本土に疎開させる事業は滞り、県民には絶望感が広がり県庁の職員の士気も下がる一方でした。医療従事者、教員、県職員の中にも混乱に紛れて沖縄を離れるものが相次ぎました。

 

1945年1月、大阪府内政部長を務めるキャリア官僚だった島田は沖縄への赴任を打診されます。それはすなわち死を意味していました。家族は動揺して引き止めますが、彼は断然とこの任務を引き受けます。

 

「私が断ったら誰かが行かなければならなくなる。

誰かが死ななければならないのに、どうして断れようか。」と言い残して沖縄に向かいます。

 

沖縄に着任した島田知事は、警察本部長の荒井退造と協力して滞っていた本土への疎開事業に敢然と取り組み、約10万人の沖縄県民が命を救われました。又、危険を冒して自ら台湾に飛び、県民の食糧として米を調達します。

 

明朗快活な新しい知事を迎え、県庁の士気は上がりまた県民にも希望が広がります。

 

4月1日「鉄の暴風」とも言われ日米合わせて20万人が命を落とした沖縄戦が始まり、米軍の侵攻が始まってからも島田は軍部と密に連絡を取り、戦場に残された県民を1人でも多く救うためにギリギリの状態で県政へを継続して県民に寄り添います。

 

5月末には那覇が陥落した時点で沖縄の日本軍の兵士は7割が死亡して、

戦闘を続けられる状態ではありませんでした。しかし、日本政府は沖縄戦をなるべく引き延ばして米軍の本土上陸を遅らせるという方針を取り、軍は島の南部に後退し、戦闘を続けることになります。指揮系統は乱れ、小さな部隊がバラバラに戦うという実質的にはゲリラ戦になってしまいます。

 

追い詰められた日本の兵士は一般市民の防空壕を奪ったり、食糧を奪ったり、命令に背く者は処刑したりするという地獄絵が繰り広げられます。

 

米軍は国際法を遵守して一般市民への攻撃は避けたいという意識はありましたが、軍人、臨時に徴兵した学徒隊や市民、一般市民が混在していたため攻撃は無差別なものになりました。

 

このような状況の中で島田叡は知事の職務を遂行します。島田はその行動力、決断力、リーダーシップだけではなく、県民に対する愛情溢れる思いや行動で、県庁の職員や一緒に壕に避難した人々からも深く慕われます。

 

極限状態に置かれても人間性を失わず、何より人の命を大事にし、守った島田でしたが、6月23日の日本軍の降伏後荒井と共に消息を断ちます。

 

太平洋戦争終戦から70年経っても島田叡は沖縄の島守として沖縄県民から慕われています。

 

私は島田叡が卒業した神戸二中を前身とする高校の出身で、在学中しばしば島田知事の話を聞かされ、

偉大な先輩への尊敬の念を抱いていました。

 

しかし、沖縄戦の詳細については詳しく知ろうという勇気もなく、また手立てもなく長い年月が過ぎ去ってしまいました。数年前になって初めて沖縄を訪れた時に戦場跡を巡った時には、もう言葉にもできないほど激しい衝撃を受けました。

 

日本軍兵士や県民が身を隠した壕は自然の洞窟(ガマ)に手を加えただけの土が剥き出しの洞穴でした。島田知事を顕彰する碑は摩文仁の丘の知事が最後に目撃された壕の前に建ち、慰霊公園には全死者の名前が刻まれた石碑が静かに並び、その向こうには青い青い海が広がっていました。

 

島田知事はどこに眠っていらっしゃるのか。母校の同窓会は遺骨探しの作業をしています。でも私はその時「島田さんは沖縄で眠っていたいのではないか。果たして本土に帰りたいのだろうか。」という思いを抱きました。

 

本土決戦を遅らせるために捨て石にされ、死んでいった人々の願いが叶うまで、沖縄を離れられないのではないか。

 

私を偉人とかすごい人やと崇めるより、亡くなった沖縄の人たちの思いを日本の人みんなに聞いて欲しいわ。そやなかったら帰れへんのよ僕は。

 

私はそんな声を聞いたような気がします。あくまでも私なりの解釈や思いですが。

 

島田叡の事、沖縄戦の悲劇を忘れないために、沖縄戦のことや太平洋戦争のことを少しずつ調べていきたいと思います。なぜ戦争という愚かな選択をしたのか、知ろうとしなければまた同じ事を繰り返してしまうのではないかと思うからです。と言うか繰り返しつつあるのではないかと。

 

島田知事の人間像ももう少し掘り下げてみたいと思います。

 

少しずつ、調べていきます。

 

文献

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アメリカ合衆国議会図書館資料

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