Our All -Time Hero

 

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まだ高校生の頃、朝礼や何かの講話の時に先生たちの口で語られる島田叡は、とてつもなく大きな人で

理解したり共感したりする対象ではなかったような気がします。

 

生意気盛りで考えの浅い学生たちでしたが、沖縄戦の重さには感じることも多かったと思います。卒業式の終わった後クラスで写真を撮ろうという話になり、校内にある、沖縄の方角に向かって遥拝するモニュメントが立つ小さなコーナーでひと時を過ごした思い出があります。

 

三高、東大に進んだ秀才で、なおかつ野球部の主将。卑怯にも沖縄を見捨てた前任者の後を背負って10万もの県民の命を救っても、奢らず怯まず運命に立ち向かっていった人。

 

それでも、もし同じクラスにいたら嵩高くもなく、みんなとも同じようにバカ言ったり遊んだりして青い時間を一緒に過ごしたんだろうな。

 

うちの学校の卒業生に限ってそんなガチガチの優等生がいるわけあらへんわ、と根拠の無い親近感や馴れ馴れしさで受け止めていたのではないかと思います。

 

それでも、その死の悲しさや重たさややり切れなさは深く無意識の中に刻まれていった感覚があります。

 

私はその頃以来ずっと、島田叡はキリスト教徒だったと思い込んでいました。確か誰かに聞いたか、どこがで読んだかという気がするのですが、今のところどの文献にもそういった記述は見つけられません。

 

キリスト教徒では無くとも、少なくとも外国の(特にキリスト教圏)の価値観や考え方には触れていたのだろうと思って調べると、かなり英語が堪能で、太平洋戦争時にも洋書を探して読んでいたという記録は残っています。

 

業績ではなく、その人柄を誰かに説明するとしたら正にこの方の言葉がそのまま当てはまるのは、偶然なのでしょうか、、

 

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戦時下であっても平時でも、リーダーであっても一個人であっても、人間らしく生きるとは何か。

それを知っていた人だったし、本人にとっては当然のことで何も難しいことをしたつもりはなかったのではないかと思います。

 

もし今の時代に島田叡がどこかの県の知事で、県民が災害で被害を受けたとしたら、共に涙を流し復興に奔走し、弱者を護ったことでしょう。

 

島田知事のようなリーダーが見当たらない、居たら逆にその人は生きづらいのではないかというような世の中なのは、島田の死を余り私たちが活かせていない証のような気がします。

 

兵庫県の知事や、神戸市長さんたちは尊敬する人の名に島田叡を挙げる人が多いのは、島田叡が県民や市民を今だに守ろうとしていてくれるような気がして心強く感じていますが。

 

1番上の写真は島田叡のご家族の写真です。とても美しい夫人は野球仲間の妹さんで、恋愛結婚。可愛い娘さん二人に恵まれ、今風に言えば超リア充

 

お酒を飲むと、必ず歌を歌って踊り出す。

 

偉人と呼んだら、「やめてえな。」と恥ずかしがられるのではないかと思いますが「our all-time hero」 なら気に入ってくださるのではないかと思っています。