悲劇の沖縄戦

 

沖縄戦の全死者

f:id:cyerry0405:20191201164835j:image

 

 

沖縄戦では、1944年の10-10空爆を含めて沖縄県民の4分の1が亡くなったと言われています。第二次世界大戦において最も激しく凄惨な戦いの1つなのです。

 

米軍はそれまでの南西太平洋における日本戦の経験を蓄積した54万人の部隊を結集し、迎え撃つ日本軍は総数は臨時に招集した12、3歳から70歳までの沖縄住民を含めて12万人という始めから勝ち目のない戦いでした。

 

アメリカが策定した日本本土への上陸作戦の開始を少しでも遅らせるための消耗戦、と大本営によって沖縄戦は位置づけられます。44年7月以降自然の洞窟(ガマ)を利用した防空壕作り、軍事拠点作りなどが県民の協力を得て行われますが、45年4月1日に米軍(連合国軍)が沖縄本島に上陸します。

 

45年の3月26日以降5月末の首里陥落までに日本軍の軍人の7割が亡くなっており、事実上戦闘不可能状態になる。しかし、参謀本部は持久戦を指令し、残存軍は南部に撤退することになります。

 

首里戦に備えて多くの県民が南部に疎開していた。軍に同行すれば安全だと考えついてついて行った住民もいた。島田知事は砲弾の降りしきる中、軍の壕に何度も足を運び県民の安全を図るため、軍との連絡を密に図る努力を重ねていた。

 

基本的には南部への軍の移動には反対。もしそうする場合には安全な東部へあらかじめ県民を移動をさせたい。

 

しかし県庁の強い訴えは聞き入れられず、5月24日前後、夜陰に紛れて日本軍は撤退を始める。情報が漏れたり、住民が動いて敵軍に知られることを恐れたのだろう。県に連絡せぬままの撤退だった。梅雨が始まって雨が続いていたために米軍の偵察機が飛べなかったこともあり、撤退は成功する。

 

県南部は「この世のあらゆる悲劇を集めた。」と言われるほど凄惨な戦場になりました。指揮系統が崩れ、兵糧も持たずに小さな部隊がゲリラ戦的な戦いを続けながらどんどん南へと下がります。日本軍の兵士たちは艦砲射撃を避けるために住民を追い出して壕を奪ったり、食料を取り上げ、拒むものは容赦なく殺されます。

 

軍人と住民が混在し、一般人に仮装して攻撃する作戦も取られたために、米軍は掃討作戦を展開します

。海からは艦砲射撃、空からは機銃掃射、陸では戦車による火炎放射。鉄の暴風雨と呼ばれる米軍の攻撃に、日本軍の兵士の自爆攻撃や住民を巻き込んだ集団自決。1日に千人以上の人がなくなりました。

 

戦死した県民の7割以上はこの5月末〜から6月末の間に亡くなっている。いかに凄惨な状況だったかということです。軍人軍属の中には旧制中学の学生も含まれわずか12,3歳の子供も最前線で戦い亡くなりました。

 

あまりにも多くの県民の命が奪われたのは、アメリカ軍が上陸したことよりも、日本本土への米軍の上陸作戦をなるべく後に引き延ばすための1か月間の持久戦のためだった。まさにここに沖縄の悲劇の元凶があると思います。

 

島田を始め県職員と警察官たちも南部へと向かいます。1人でも多くの県民を安全を確保し命を救うこと、最後の最後まで使命を尽くすこと。

 

「生きろ」。

運命を共にした職員や県民たちに、島田はそう言います。国に命を捧げるのがあたりまえ、生きて虜囚の辱めを受けずと教育を受けていた時代に「戦争で死んではならない。」と伝えました。沖縄戦だけではなく、この戦争に勝ち目はないことも分かっていたはずです。

 

「生きろ」とは、自分にも言い聞かせるための言葉でもあったような気がします。多くの市民や部下がなくなっていく中、島田自身は県政の長として責任を全うしなければならない。若い職員には「米軍には手を挙げて降伏しなさい。悪いことはしないから。」と説いたが、自分自身は生きながらえることは選ばず、県庁解散後は軍の壕に赴きます。

 

島田の最大の悲劇もこの南部撤退以降のことなのです。

 

・・・・

島田叡な人生と業績がよくわかる、よくまとまったNHKの歴史番組の動画です。画面の大きなものがあったのですが、今現在見られるのはこれだけのようです。

 

MCの磯田先生の熱の入り方が強くて、見応えが有ります。どうして9万もの一般の県民が戦いに巻き込まれたか、率直に語られていますが日本軍の作戦が絡んでおりなかなか明らかになることがないことなので、その点も意欲的だと思います。

「英雄たちの選択」 2015年8月13日

https://m.youtube.com/watch?v=5IX_qWIsdjc

 

クリックで開かなかったらコピーペーストでお願いします。2019年末時点で、島田叡の人生を教育勅語と絡めたり、殉職したことを国のために命を捧げたというような文脈で語る動画が増えてきているなと感じます。

 

この番組は彼を美化するわけではなく、批判的な視点も含めて事実を積み上げた秀作であると感じます。沖縄戦の規模や凄惨さは1時間の尺ではとてもではないけれど描ききれないものです。島田叡やその周りの人々の人生にしても。

 

でも知りたい人のためにはとてもよい入り口になると思います。